1-1いつも住宅を設計するときに考えていること

住宅は人が暮らしていくときのベースになるところです。 どんな人も「自分の住まい」を持とうとし、そこを心と身体の拠り所としながら、毎日の暮らしをつくっていきます。 空調の効いた会社の建物も、どんな素敵なホテルや旅館も、そこは一時的に身を置く場所であり、「自分の住まい」ではありません。 そんなふうに、人が生きていくにおいてもっとも基本的な場所となるような、とても大切な「住まい」をつくっていくという仕事に私は携わっています。 まずは何より、その深い自覚と意識をもって、私は「住まいの設計」に向かっています。 そこを心と身体の拠り所としながら、毎日の暮らしをつくっていく住まい。 そんな住まいに求められるもの、備えるべきものはとてもたくさんありますが、それを考えるときに必要なのは「時間」という視点であると私は思っています。



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"平日の朝、家族が起き出し、それぞれが家の中で動き、外出していく。あわただしい中でも、家族に必要なコミュニケーションが生まれる。家に残るものはほかの家族のために家事をして、自分のための時間を過ごす。家族が帰宅すれば、また朝とは別の心と身体の動きがある。朝に比べ、時間のリズムが少しのんびりとなる。残された1日の仕事や勉強にじっくりと取り組み、家族が集まって会話を楽しみながら、次の日に備えて心と身体を休める。

休日は平日とは違った別の動きがある。心のあり方がずいぶんと変わる。平日にはできないことに向かっていく。家族みんなでのんびりと1日を過ごすこともあるだろうし、それぞれが平日とは違う忙しさで1日を過ごすこともある。家族の友人が訪問してくることもあるだろう。

天気のよい日は窓を開け放して気持ちよく過ごし、雨の日でもその空気を愉しめるような、家族や客人が集える広い空間があるのがいい。 季節が変われば、家族の動きも変わってくる。季節に合わせて衣類や「家にある道具たち」が移動して、家全体の装いに変化が生まれる。

春には春の、夏には夏の、秋には秋の、そして冬には冬の心地よさが必要となり、その心地よさの中で、家族は日々の暮らしをつくっていく。 10年経てば、知らないうちに家族の様子は相当に変化している。なかったものが増え、あったものがなくなっている。平日の心と身体の動きも、休日の心と身体の動きも、いつのまにか大きく変わっている。いや、家族だけが変わるのではない。長い時間の経過は「家」の変化を余儀なくさせる。新築時とは内装、外装の様子も違ってくるし、メンテナンスが必要になるところが出てくるかもしれない。もしかしたら、大きな地震や台風に遭う可能性もある。そしてきっと、これからますますエネルギーのことや地球温暖化などの環境問題が大きなテーマになってくる。そうしたことにも対応できる住まいにしておかないと、そこに住む家族の心も身体も、決して良い状態にしておくことはできない。




こんなふうに「住まいの時間」をとらえて、そこに生まれる家族すべての心と身体の動き、さらには自然災害や社会全体の変化までも考え、想像することで、住まいに求められるもの、備えておくべきものが見えてきます。

ここで私が何より大切にしているのが「心と身体の動き」の両方をしっかりとらえること。心の動きも大切。身体の動きも大切。そしてこの2つの動きは密接に結びつき、片方だけを切り離して考えることはできません。この視点が欠ければ、「その家族にとってのいい住まい」は決して生み出すことはできないと私は考えています。



最良の住まいを「かたち」にする

私の仕事は、こうして考えた「その家族にとって最良の住まい」を、設計という作業を通して「かたち」として提案することです。 そしてその「かたち」を提案するとき、次の順序で考えていきます。
1.あらゆる住まいに必ず備えるべき『かたち』を提案する
 
       暮らしの備え
       光と風の備え
       健康で快適・省エネの備え
       長寿命の備え

  

2.その家族、住まい手らしさを作り上げる『かたち』を提案する

        住まい手らしさを形にする




家族らしさ
まず私は、どんな家族にも共通するような「家に備えるべきもの」があると考えています。それは「適切な家事の動線(動き方を線にするようなイメージ)」や「適切な収納計画」や「風通し」や「耐震性」といったようなものです。言ってみれば当たり前に必要なことを備えるということなのですが、それは「いまの日本でつくられている平均的な家」に備わっているものとは相当にイメージが違います。「きちんと考えて備える」ということと「平均」は違いますから。 住まいというものに真正面から向かっていったとき、そこにどんな家族が住むにしろ「これだけはしっかり備えておいたほうがいい」と結論づけられるもの、と言うのがもっとも適切な表現かもしれません。

こう書くと、何だか私が設計の仕事を始めたときからわかっていた話のように聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。様々な試行錯誤と成功、失敗の繰り返しを経験し、ようやく最近になって見えてきたものです。でも、改めて「あらゆる住まいに備えておくべきもの」を眺めてみると、その大切さ、重さを実感します。

次のステップは「その家族、住まい手らしさをつくり上げるもの」を考えていくという作業になります。そこに住む家族が必ず実現させたいもの、その家族にしかない「固有のもの」は必ずあるので、その内容を踏まえた「住まいのかたち」をつくり上げていくわけです。実際には「あらゆる住まいに備えておくべきもの」に、ここで必要になるものを重ねていきます。
たとえば、その家族のご主人の趣味が釣りであれば、釣りの道具を玄関近くに収納できるスペースを設けるとか、自家菜園を持っているなら勝手口からキッチンを土間でつなげるようにする、というようなことです、こうした備えをどこまで充実させられるかによって、その住まいの満足度が本当に大きく変わってきます。私はそのことをたくさんの住まい手からの声を聞くことによって深く実感しています。

このときに何より大切になるのが、家づくりの過程における住まい手とのコミュニケーションです。私はいわゆる「建築家」と呼ばれる立場にありますが、一部の建築家に見られるような「自分の作品をつくる」というスタンスで住宅の設計をしていません。私が持っている力量を最大限に生かしてもらいながら、住まい手と一緒に「その家族らしさ」を住まいとして実現させていきたいのです。



家の広さの常識を疑う

小さく建てて大きく住まう
最後にもうひとつ付け加えておきたいのが、「一般的に言われている“広さや床面積”にとらわれない」という発想のことです。 いつのまにか、ほとんどの人は「リビングは最低18帖くらいはほしい」とか、「全体で30坪の家では狭い」というふうに考えるようになっています。おそらくそれは「平均的な家」に住んだ経験や、「平均的な家」を訪れて得られた感覚だと思うのですが、「広く感じる」「開放的で気持ちよく感じる」という感覚は単純に部屋の大きさ(床面積)に比例するものではありません。また「全体として狭い」というふうに思っていることも、それを分析していくと明確な根拠から出た意見ではないことがわかります。

結論から言えば、いま一般的に「これくらいの広さは必要」と考えられている家の床面積は大きすぎます。もっとコンパクトになるし、そうしたほうがうまく、気持ちよく暮らせます。

もちろん、「平均的な家」の設計をそのままにして床面積を小さくすれば狭く感じますが、広く感じさせる工夫を盛り込めば、かなり床面積を小さくしてもそれ以上に広く感じる住まいを実現させることができます。
でも、これは実際にそんな家に入って実際に体感してもらわなければわからないですね。ぜひ気軽に見学会に参加してみてください。

以上が「私が住宅を設計するときに考えていること」です。







1-2 暮らしの備え